バングラデシュ、パキスタン、インド、この3ヵ国は、イギリスの統治下にあって、一つの国だったんですね。それが、(宗教の違いから?)バングラデシュ・パキスタン、インドと別れ、更には、言語の違いから、バングラデシュ(ベンガル語)とパキスタン(ウルドゥー語)に別れたんですね。
バングラデシュは、日本の3分の1の面積ですが、人口は、日本よりも多いのです。
バングラデシュの首都、ダッカは、とても貧しい都市とのイメージがありますが、実際に、行って、そのイメージが変わりました。
以下は、実際にそこで滞在しての私の感想です。(ダッカ出身のAPUアジア太平洋大学の学生さんから2年近く、マンツーマンで、ベンガル語を教わり、ダッカにあるその学生さんの家に、(2005年1月22日~2月8日)2週間余ホームステイさせて頂きました。)
首都ダッカでは、中流の家庭は約4割ほどいて、中流の家庭では、(その家には、クーラーはありませんでしたが)テレビも新聞もあり、水洗トイレもあり、女中さんも複数いて、ダッカ大学には、糖尿病の専門外来もありました。
実際に学校に行くと・・・小学生になる前から、ベンガル語と英語を同時進行で教えていました。正に、私にとっては、驚きでした。
バングラデシュの政府は、国の発展に最も大切なもの、それは・・・→「子どもへの教育だ!」と気が付いているんですね!
確かに、ダッカでも、約半分程の人が貧乏です。電気もつかず、トイレも整備されてなく、貧しい生活を余儀なくされています。そんな家の子どもたちは、早朝から、ゴミからモノになりそうなものを探したり、道端で花を売ったりしていました。
どこも子どもで溢れかえっているって感じでした。正に、私が経験した戦後直ぐの姿に似ていました。しかし、ダッカには、海外の大都市の様なデパートもありましたし、車も走っています。子どもの教育が次第に実を結んで、いつかは、戦後の日本の様になるだろうと思いました。
豊か過ぎての中で子どもを教育するのは、至難の業だと思っています。日本が如何に恵まれているか、それは、海外に行けば良く分かることです、いや、実際に海外に行かないと分からないと思っています。
*写真は、ダッカにある学校で和太鼓を披露している私です。演奏前に、ベンガル語で、挨拶しました。
(令和5年4月30日、記載)
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